2015年02月28日

信玄ゆかりの地B

甲府城の後は、今度こそ信玄ゆかりの地へ。
武田神社と恵林寺へ行ってきました。
まずは武田神社。
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もちろん御本尊は武田信玄公。
創建は大正8年と、比較的新しい(?)ですが、元々武田家の居館として有名な躑躅ヶ先館のあった由緒正しい場所です。
そして戦上手だった名将武田信玄公を祀っている神社ですので、ご利益はズバリ「勝運」!仕事で、受験で、今こそ!という方は御利益を信じて行ってみてはいかがでしょうか?
余談ですが、我々は車で行ったのですが、確か車を停めるに確か苦労した覚えがあります。もし車で行かれる方は注意しながら行ってください。武田神社のHPにも書いてありますが、近くに小学校もありますので交通ルールを守り安全運転でお願いします!
下矢印1武田神社公式HPです。
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2015年02月27日

信玄ゆかりの地(?)


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甲府五山の後に向かったのは、甲府城址公園。実はこの甲府城を「信玄ゆかりの地」関連の記事に載せるのは悩んだんですが、信玄ゆかりの地巡りで甲府に行ったので、一応続きという形で載せさせてもらいました。というのも、歴史に詳しい方ならご存知だと思いますが、甲府城は信玄とは何のゆかりもありません。
まあ、徳川とは縁のある城ですので、先日書いた歴史ミステリー「徳川家康は実は武田信玄の子だった」説にちなめば全く関係ないとも言えなくもないかと……ごめんなさい、無理矢理なこじつけです。すみませんm(_ _)m
気を取り直して。甲府城は武田家滅亡後、さらには信長の死後、豊臣政権下になってから本格的に築城し始めますが、築城には困難を極めたそうです。というのも紆余曲折あって浅野長政(秀吉の正室、北政所の義弟)が築城することになったんですが、朝鮮出兵と重なり苦労したそうです。ちなみに浅野長政、うちの母方の祖先だそうです。まあうちの母の実家は枝の枝の傍系だと思いますが。
しかし、この甲府という地は東西間の要所だったらしく、豊臣政権下では関東に移封された徳川に対する備えとして、徳川政権下では喉元に突きつけらた刃とならないよう、親藩(身内)として重要視されてきた城です。幕末に新選組も甲陽鎮撫隊として甲州に出兵してたくらいですもんね。とにかく武田信玄及び武田家とはゆかりはありませんが、豊臣家にも徳川家にも重要視された、歴史的には偉大な城です。
ちなみに甲府城、「甲府城御案内仕隊」という観光ボランティアの方達が、無料で案内してくれます!詳しい事は下矢印1公式HPに書かれてますので、甲斐へ行く時には是非参考にしてください。では!
posted by SRC副長 at 19:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月26日

雑記

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ブログを始めてまだわずかですが、
先日メンバーから質問をうけました。
「ブログ見たよ。真田幸村のデザインカッコいいねえ!でも何で真田幸村?前田利家とか武田信玄とかの記事もあるじゃん?」と。
ごもっとも!真田幸村のブログではなく、戦国・争乱研究倶楽部ですからね。
なら答えは1つ「それは真田幸村が好きだからだ!」
「いや、おまえの一番好きな偉人は土方歳三だろ?よしぞうってHNもそっからモジッてるんだら?(三河弁です。だろ?の意味)」
まあそう言われちゃ仕方ない。本当の事を言うと無料で使えるテンプレート見てこのテンプレートに一目惚れ(///ω///)♪
作ってくれた方、どうもありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
と、いうことで、戦国にも幕末にも…ていうか、歴史に関して何の関係もない内容ですみませぬm(_ _)m  ただ、せっかくブログを始めたんで、もっとテンプレートやタグの事を勉強して、オリジナルなテンプレートを作れるようになるぞ!という思いを込めて今回の記事を書きました。まだまだこれからですが、今後もよろしくお願いいたします。

追記
写真は太秦映画村へ行った時の物です。
記事と何の関係もありませんが、写真くらい歴史っぽく…。
posted by SRC副長 at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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