2015年02月19日

真田ゆかりの地B

そして次の日に訪れたのが、高野山。
まず向かったのが真田昌幸、信繁か(幸村)親子が関ヶ原合戦後に蟄居させられていた九度山にある真田庵。蟄居中はここにいたらしいですよ!(冬場はかなり冷えたため麓の九度山町で過ごした説あり)
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いろいろな資料があり小さな真田資料館といった感じです。
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(上矢印1武具に見とれる局長)

なんていったらいいのか、「ここにあの幸村がいたんだ!」って思うと感慨深い物がありますね。
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上矢印1真田幸村公のコーナーに展示の甲冑。
有名な「真田の赤備」(前立てが六文銭で鹿の角がついたもの下矢印1)
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ではなかったですが、これは大阪の陣で揃えたそうなので、九度山になくて当たり前ですね。ただ、九度山町では毎年、真田祭が行われてて、その時は赤備の甲冑に身を包んだ幸村公を見ることが出来ますよ!詳しくは九度山町の公式ホームページをご覧ください下矢印1
ちなみに真田といえば六文銭(六連銭)。由来は三途の川の渡し賃。幸村の祖父、幸隆がいつ死んでもいいように、または死も厭わない覚悟の表れとして使用したのが始まりと言われてます(異説あり)。
真田庵にも六文銭の旗ありました!
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ただこの六文銭の旗印、実際には大阪の陣で幸村は使用しなかったという説もあります。徳川方に付いた兄の信之を気遣ってというのが通説ですが、やっぱり真田といえば六文銭、六文銭といえば真田幸村ですよね。
ひとまず、真田編はここまで。次は真田十勇士や大阪の陣生存説等、実際の文献にはない話を掘り下げてみたいと思います。では!

追記
せっかくなので高野山にも行ってきました。
寺ばかりだと思ったら山の上に1つの町があるような感じなんですね。参拝客・観光客も多いので当然ながら土産屋もたくさんありました。もちろん寺院の数も凄いですよ。
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(赤くそびえ立つ二重塔。目立ってました。)

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posted by SRC副長 at 08:51| Comment(0) | 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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