2015年02月17日

真田信繁(幸村)

2015-02-18-12-34-33_deco.jpg
永禄10年(1567年)(異説あり)、真田昌幸の次男として生まれる。
没した武田家の領地を徳川、上杉間で争いになった時には真田家が上杉方に付いたため信繁は上杉に人質となっている(第一次上田城の合戦もこの頃)。
豊臣秀吉が信長の後継者となるころ、信繁は大阪に移り今度は豊臣の人質となる。
小田原攻めの際は石田三成、大谷吉継らと共に忍城攻めに従軍したらしいが定かでない。
関ヶ原の合戦では兄と袂を別ち父と西軍側に付き、約4万の兵で上田城に攻め寄せた徳川秀忠軍を3千5百の兵で退ける。しかし関ヶ原合戦は東軍の勝利に終わり、信繁は父と共に高野山にて蟄居となった。
大阪府冬の陣では高野山を抜け出し大阪城へ。徳川勢に大打撃を与え武勇を轟かす。徳川・豊臣が講和すると徳川家康から破格の待遇で誘われるが、断固として断り、夏の陣では再び豊臣方へ。
夏の陣では2千から3千の兵で1万5千の家康本陣に突撃し家康に2度も死を覚悟させる。家康に「真田日本一の兵(つわもの)」と言わせる安居神社にて討ち死に(逸話あり)。享年49歳(異説あり)。

大好きな武将です。そういう方多いんじゃないでしょうか?ただ、この幸村、実際に武功があったのは大阪の陣だけなんですよね。冬夏両方活躍してますが。漫画やドラマでは関ヶ原の時、上田城合戦でも活躍してますが、上田城で実際指揮を取ったのは父の昌幸。
信繁は兄が徳川方だったため、同士討ちを避けるためあえて戦わなかったという説もあります。それを考えるとたった2戦しか武功はないのに、緒大名に名が知れわたり、家康に「真田日本一の兵(つわもの)」と言わしめ、現在もなお根強いファンがいる(小説やゲームの影響もありますが、それでも!)真田信繁、いや真田幸村は凄い武将だなぁと思います。
posted by SRC副長 at 18:32| Comment(0) | 戦国時代の偉人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。